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魏志倭人伝

中国の歴史(岡田英弘)から

魏、呉、蜀の三国時代を平定しして統一王朝としたのは晋である。
晋は前例に習い、297年ごろ陳寿に「三国志」を編纂させた。
その中の魏書に東夷伝があり、卑弥呼邪馬台国が記述されている。
陳寿は蜀の出身で若いころは恵まれなかったが、晋の武帝首席秘書官であった
張華に才能を認められ修史官に任命され、三国志の編集を任された。
張華は司馬昭とその父、司馬仲達に使えていた。
司馬父子は東方の呉を滅ぼす功績があり、これによって東方の国と交流を持つことになった。陳寿三国志編纂にあたって、司馬父子の功績を称える必要があった。
そのため、東の邪馬台国は実際より誇張して記述された。
倭人伝の記述通り帯方郡から邪馬台国に至る道筋を辿ると、台湾、あるいはグアム島当たりに邪馬台国があることになるが、これは書き間違いでもなんでもなく、邪馬台国を大きく見せることによって、司馬父子の功績を大きく見せるためである。
魏志倭人伝は旅行書でも、地理書でもない。晋の偉大さを喧伝するための書であるから、邪馬台国の記述が正しくなくても問題はない。

それを一生懸命、解釈しようとするのは無駄というものである。