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「スマカメ」で繰り返し停止していますの対処法

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でストレージとキャッシュを削除する
初期状態に戻るので、本体記載のID,と設定したパスワード入力する。

 

ソフトの再インストールだけでは解決できないようです。

要するにリセットすればいいようです。

『「化学」で考える』を考える

「化学」で考える(村田徳治著)の中の第7章に都市ゴミ焼却炉とエネルギー回収という記述がある。
その中で、ごみ焼却炉でダイオキシンが発生するとある。
あたかもダイオキシンの発生源がゴミ焼却炉のような書きっぷりfだが、これは間違っている。
ゴミ焼却炉からダイオキシンが発生するのは事実だが、日本中のごみ焼却炉から出るダイオキシンをすべて足し合わせても、日本のダイオキシン量には遠く及ばない。
主発生源は別にあるからだ。
ダイオキシンは元東大講師の中西準子氏が原因究明したように、日本の水田で使用されていた農薬の不純物によるものである。農薬生成時にダイオキシンが随伴物として発生することは意識されていなかったが、中西氏の指摘以降、製造工程が見直されダイオキシンが随伴物として含まれることはなくなり、ダイオキン問題は収束した。
ダイオキシンは猛毒であるとされたが、2004年12月、ウクライナ共和国の大統領候補であったユシチェンコ氏がダイオキシンを食事に盛られて倒れ、顔面に青黒い発疹ができて人相がすっかり変わってしまったという事件があった。氏はその後無事回復して大統領務めた。つまり猛毒ではないという事だ。
また、騒ぎの発端となったのはノルウェーでの製紙工場排水による海洋生物の大量死であるが、実はウイルスが原因であると究明された。
こうして報道も沈静化したのである。

この本では、日本のごみ焼却炉の廃熱回収効率が欧米に比べて悪いと指摘しているが
、これも誤解である。
日本のごみ焼却炉では
1.発電のほかに、併設される温水プールや老人福祉施設で使われる温水として熱回収が行われている
2.分別収集が進んでおり高発熱量のプラスティックゴミが焼却炉に回されることが少なくなった。このため炉温が上昇せず、熱効率が悪くなっている
3.日本では排ガスの白煙を嫌う。白煙は水蒸気が凝固した湯気であり、無害であるが見た目が悪いので、排出温度を上げざるを得ない。これが回収熱量の低下となる。
といった欧米のごみ焼却炉とは異なる特徴がある。

こうした点を踏まえないと日本のごみ焼却炉は語れない。

  

魏志倭人伝

中国の歴史(岡田英弘)から

魏、呉、蜀の三国時代を平定しして統一王朝としたのは晋である。
晋は前例に習い、297年ごろ陳寿に「三国志」を編纂させた。
その中の魏書に東夷伝があり、卑弥呼邪馬台国が記述されている。
陳寿は蜀の出身で若いころは恵まれなかったが、晋の武帝首席秘書官であった
張華に才能を認められ修史官に任命され、三国志の編集を任された。
張華は司馬昭とその父、司馬仲達に使えていた。
司馬父子は東方の呉を滅ぼす功績があり、これによって東方の国と交流を持つことになった。陳寿三国志編纂にあたって、司馬父子の功績を称える必要があった。
そのため、東の邪馬台国は実際より誇張して記述された。
倭人伝の記述通り帯方郡から邪馬台国に至る道筋を辿ると、台湾、あるいはグアム島当たりに邪馬台国があることになるが、これは書き間違いでもなんでもなく、邪馬台国を大きく見せることによって、司馬父子の功績を大きく見せるためである。
魏志倭人伝は旅行書でも、地理書でもない。晋の偉大さを喧伝するための書であるから、邪馬台国の記述が正しくなくても問題はない。

それを一生懸命、解釈しようとするのは無駄というものである。

「兵士とセックス」から

 

米英軍はノルマンディー上陸に先立って、フランス占領中のドイツ軍を弱体化するため、フランス全土のドイツ軍補給所、駅舎、道路、橋等を攻撃した。
1944年だけで、503,000トンの爆弾が投下され、35,317人が犠牲になった。B17の命中精度は低く、目標から4キロも離れたところに爆弾が落下したこともあった。

 

米兵の多くはフランスを開放したとのは俺たちだから、フランス女を自由にする権利があると信じていた。

フランスでは100年の間、メゾン・クローズ(医療従事者と警察の管理下にある売春宿)の制度の下に公認されていた。

1944年9月、フランス開放のためブルターニュを進軍中の第29歩兵師団を率いる米軍のチャールズ・ガーハート将軍は部下の性処理が必要と考え、参謀長に売春宿を設けるように指示した。
その仕事は民事部に回り、民事官エイサ・ガーディナーはフランス警察と相談し、モロというポン引きを紹介された。ガーディナーはモロと契約し、売春宿を開かせた。
こうした「GI専用売春宿」は12の師団が1943年から1945年に渉って、フランスとイタリアで開設された。

米軍は兵士とフランス人売春婦とのセックスは問題にしていなかったが、セックスによって性病を感染することは戦力の低下につながるので、問題視した。
イタリアでの性病感染率は1000人つき推定168人となった。

フランスでは物資が不足したいたため、タバコや日用品などとの交換で性交渉を簡単に許す女性が多数いた。

パットン将軍は、部下が少しくらい娼婦買いをしても誰の迷惑にもならないと考えており、パレルモに進軍したとき、六軒の買収宿に医療チームを設立した。さらにパリから女を呼び寄せるように命じた。

米兵の多くは命がけで、フランスを解放してやったのだから、フランス女を自由にする権利はあると考えていたし、フランス女は尻軽で、節操がないと信じていた。

米軍の中枢が、恐れたのは、性的接触を絶つことによって、部下たちが同性愛に向かうことであった。男性同士のアナルセックスやフェラチオをしたものは営倉送りや不名誉除隊、刑務所送りなどになる者がいた。

米兵がフランス女性をレイプする事件も起こったが、米軍はレイプ犯の多くは黒人であるとして、人種問題にすり替えた。

 兵士とセックスの問題はいかなる軍隊でも発生する。
極限状態で殺し合いをしている兵士は生存本能として女性を求めるのであろう。
セックス自体は個人の問題で、軍が関与することではない。軍にとって問題なのは、性病の罹患で、直接、戦闘能力の低下につながってくる。ここに軍が売春婦や売春宿を管理する必然性が生まれる。

システムとしての売春は専門業者の領域であり、軍にとっては外注で済ますほうが効率的である。軍は兵士が性欲を満たす仕組みの必要性は認めても、直接関与する必然性はない。
外部にセックスの対象を求めることを禁じれば、内部で同性愛の問題が生じる。こちらは禁忌である。日本では戦国時代から武家社会や仏門に衆道があり、同性愛はあまり問題にならなかった。この点は欧米と大きな違いである。

監訳者の佐藤文春は24ページに渉って自説を開陳している。
本書の内容とは離れて、旧日本軍が公然と慰安所を設置・運営していたと断定している。当然であるが、こうした事実は否定されている。
事実は本書の米軍の手法と同じく、専門業者に委ねたのである。餅は餅屋に任せるが常識というものである。

 

ダンパー数と統制限界

ダンパー数はイギリスの人類学者Robin Dunbarによって提唱された数字である。

ダンパーは霊長類の調査の中で毛づくろい行動の重要性に気づいた。

すべての集団の規模を脳の新皮質の発達度に関連付けて記録していった。

その結果、この二つには比例関係があり、ここから人間の限界、すなわち、いつ誰が誰に何をしたのかといったことを把握できる限界は、人間の場合150人であるという結論を得た。

「新皮質の処理能力によって安定した個体関係を維持できる個体数が決められている」ということである。

 

一方、統制限界はSpan of Controlと呼ばれ、米国の啓蒙家デールは米国の大企業では社長直属の部下は8~9人で、中規模企業では6~7人だったと報告している。管理原則の父と呼ばれるファヨールは1人の管理者の指揮下で4~6人の部下が管理限界としている。
一般的には10人とされている。

これを企業の規模に当てはめると、経営者が人間関係だけで従業員を統率できるのは150名程度、管理職が部下を統制できるのは10名程度といことになり、それ以上の規模拡大にはシステムの構築やIT導入が必要となると推測される。